久しぶりのブログ記事ですね。なぜ、久しぶりになったのかと言えば、多くの事があり体調不良で記事が書けませんでした。
久しぶりの記事ですが専門のIT関連ではなく、いま私がしなくてはならないことを書きたいと思います。
アリとキリギリスと言う物語は、みんな知っていると思います。そうイソップ物語ですね。
内容は、説明するまでもありませんが、
夏にアリは冬の為に働き、キリギリスは歌い遊んでいた。冬になり、アリは夏に働いて貯めた蓄えがあるが、キリギリスは歌を歌っていてので蓄えが無い。アリに蓄えを恵んでほしいと懇願し、アリから説教を受け蓄えを恵んでもらう。
このような話ですね。他の説では、冬になりキリギリスが蓄えを恵んでほしいとアリに頼むが「キリギリスさんは、夏に歌っていたんだから、冬は踊ったらどうかな?」と言われ断らて餓死すると言う話もあります。
要約すれば「怠けずに、将来の事を考え、ちゃんと働こう。」そういうことですね。
これからが本題です。
親父は、下肢と視力に障害があります。お袋は虚弱体質で、最近、ほんま歳をとったなぁと感じます。親父もお袋も、足腰が弱いから転びやすいし、よろけています。
親父もお袋も踏ん張ることが出来ないから転びやすい。次、転んだら、ほんま、大ごとになります。
しかも親父は視野欠損90%以上やから、目がほとんど見えません。家の中では、一人で歩いていますが、それは長年、暮らしているから目が見えなくても移動に不自由はありません。
しかし目が見えず足腰が弱いと言う事を、想像して頂きたい。
部屋や廊下等に、いつもあるものがあり、ないものはないなら危険は少ないが、もし廊下に何かが落ちていたら、どうなりますか?
例えば小さなレシートとか落ちていて踏んだらどうなるかを想像できますか?
ビニール袋でも構わない、踏んだらどうなりますか?
いつもは何も無い場所に膝下までくらいの箱が置いてあったら、どうなりますか?
はい、親父は目が殆ど見えないため、それらに気づかずに転ぶ可能性が大きいですね。そしたら、親父は大ごとになりかねないです。
では、その問題に対し、介助する側は、どうしたらいいのでしょうか?
答えは簡単です。普段の生活の中で、例えば家の中を移動するとき、例えば廊下など、あらゆるもに気を配り危険だと思われる物を探しながら歩くのです。
普段の生活の中と言うのは、24時間、危険な物はないか気を使い続ければ良いだけなのです。
もし、よろしければ、自分の家の中で半日で良いので、廊下や部屋で、危険な物が無いか気を配り続けて下さい。
ほんまの介助者は、その上に介助を受ける人がいるのです。これは、ほんの一部です。例えれば、野球場の中にある砂粒一つ位の大変さです。
介助や介護と言うのは、普段の生活が出来なくなった方の「生」を背負う事なのです。介助される方の数だけ、介護する側が背負うのです。
私の場合は、両親ですので二人です。でも、背負う「生」は二つでも、もう一つ「生」があります。誰の事だか分りますか?
そう自分です。オレは、自分の「生」で、二人の「生」を背負ってます。
さて、長々と書いてまいりましたが、これからがクライマックス。短いですよ。
最初に、アリとキリギリスを紹介しました。どんな関係があると思われますか?
それまでに、少し前置きをします。勿体ぶるなと言う言葉が聞こえてきます。誰でしょうか?(笑)
オレは、いまでも求職中です。はっきり言えば無職です。オレの生い立ちは、またの機会にしますが、オレと似たような経験は、そういないと思います。
オレは、いま両親の介助を一人でしてます。働かずに求職活動もしてません。ときどきネットで遊んだりしてます。オレは、まわりからキリギリスと言われてます。
このオレは、アリですか?
それとも、キリギリスですか?