カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の80件の記事

2014年も、あと少し

このブログを始めたときITやコンピュータ関係だけを扱ってました。でも今では写真の紹介だけになっちゃいました。
決してコンピュータ関係を忘れたとか止めたわけではないです。

今年5月22日にアップした「おひさしぶり~ね~2014版」にもありますように親父の前立腺がんは完治状態にて推移しており安堵しております。
しかしながら親父の背骨の状態に関しては悪化しました。

7月の定期検査にて腰椎2番が圧迫骨折を起こし三角形状になり、腰を動かすたびに腰髄を折れて尖った腰椎で押し潰す形となりました。
数か月で下半身麻痺になるとの診断により、7月末に脊椎及び脊髄の状態を確認する為の検査を行い結果、腰髄はグチャグチャになってる事が判明しました。
そして9月上旬に胸椎から骨盤までを固定し圧迫骨折した腰椎を整復する手術を行いました。現在、無事成功し自宅にてリハビリを行って改善傾向にあります。

手術直後は、生死の境を彷徨い出血も痛みも止まらず親父とは思えない叫び声をあげてました。心拍も弱く「ダメかも」と思ったくらいです。
担当医も看護師も引っ切り無しに容体を見に来てました。あちらの世界に行かず、こちらに来てくれた事に感謝している毎日です。

でも入院は二か月に及びお袋、そして私二人で看病を行い、また自宅を和式生活から洋式生活に変える事を求められたので孤軍奮闘し何とか退院の運びとなり今に至ります。

と言う中で、近しい身内が事故により生死を彷徨うと言う事があり、別の独り身の親戚はピンポン大の髄膜腫と判明してしまいました。
この件に関しては私が何かをしないといけない現状ではありませんけれども、あらゆる事が私が背負い判断行動しなければならないと言う事でもあります。

そういう状態の親父と、看病疲れのお袋を介護、親族の件などがありブログを書けないというのが現状であります。
私自身、ほんとうに疲れ果てました。でも私が看ないと誰も居ないので体調に気を付け孤軍奮闘、特攻精神で頑張ってます。

「人生、苦あれど楽なし、なれど苦もまた楽しきなり」

三つ目のストックフォトに参加

今まで、photolibraryさんとTAGSTOCKさんに参加してましたが、三つ目としてPIXTAさんにも参加しました。 まずは、この三か所で活動したいと思ってます。そろそろ作品も審査を通過し載りはじめました。 自分が撮った写真が審査を通過して販売されるって嬉しいものですね。

参加サイト

写真素材のピクスタ

写真素材 -フォトライブラリー
写真 素材
筆者のページ

あなたの感性を伝えるストックフォトサイト TAGSTOCK

おひさしぶり~ね~2014版

みなさん、とてつもなくお久しぶりになっちゃいました。
色んなことがあり、また文章を書けなくもなり、あらゆる事に疲れ果ててました。

叔母が亡くなり、両親はW介護状態(軽いですが)、全てが私の肩にのしかかってます。
めっちゃ疲れてますが仕方ないです。
と言うわけでブログやITの勉強ができず自信喪失になりました。

でも朗報もありました。親父の前立腺癌が完治状態になりました。
担当医曰く、このような事は今まで経験がないと仰ってました。
被膜外浸潤し転移寸前状態から完治状態になると言う奇跡が起きたのです。
これは嬉しい事です。

でも、親父の背骨の状態は悪化し歩けなくなりつつあります。
この数年で車いす生活になると思われます。
親父は、目が見えず、耳が遠くなり、歩けなくなってきてる。
お袋は、不整脈が出て虚弱体質で体重も激減してしまってます。

私の人生は「人として何が大事か」と言う学びであったと思います。
今までになく多くの事が私の肩にのしかかってます。以前の私なら、とっくに壊れていたでしょう。
辛く苦しいですが、辛く苦しくはないのです。今まで生きてきた中で一番心は楽なのです。
とても不思議です。

そんなこんなでブログを書けませんでした。

でも、何か始めたいと思い写真を撮る事にしました。
撮った写真をネットに載せていきたいと思いストックフォトを始めました。
少しずつ技術向上を図り、みなさんの心が温かくなるような写真が撮れるよう頑張ります。

以下は現在、参加させて頂いてるストックフォトサイトです。

写真素材 -フォトライブラリー
写真 素材
筆者のページ

あなたの感性を伝えるストックフォトサイト TAGSTOCK

オレを不登校に追い詰めた掟

その掟とは「什の掟」

什の掟とは
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

もし、破れば次のような罰を受けます。

一、無念(むねん)
 一番軽い処罰で、みんなの前で「無念でありました。」と言い頭を下げる
二、竹篦(しっぺい)
 今で言う「シッペ」の事です。
三、絶交(ぜっこう)
 一番重い処罰です。いわゆる「仲間はずれ」をするということです。
四、その他
 火鉢に手をかざす「手あぶり」や雪の中に突き倒して雪をかける「雪埋め」というような罰もあります。

「八重の桜」の影響もあり、これを是とする人が多いと思う。
これを非とするオレを、どう思い、どう言おうと構わない。
やっと、オレの人生を変えた外圧、自己と言うものを壊した輩が分かった。

オレは不登校を経験した。その事で、ずっと苦しんで来た。
普通の人が経験するであろう楽しみや普通の事、普通の苦労は経験してない、別のもっと辛いものを味わって来た。

オレが小学一年の時、何も悪いことをやってもいないのに信じず、やったと認めさせようと脅し文句を言った担任。
小学一年の時、忘れもをして家に取りに行き学校へ戻ったら、怒号の嵐で怒られてたとお袋が教えてくれた。
学校に言おうか悩んだらしいが、オレ以外の周りは地元の人たち。オレが孤立し、さらにイジメられるかもと思い学校に言わなかったと。

「什の掟」にある「年長者」が担任で、掟を破ったと言う無実の罪を着せられたのが「なりたての小学一年生」ってのは、おかしくないかね?

オレは、無実であるのに「罰の中」にある「無念」や「絶交」を、小学校から中学まで繰り返し受けてきたらね、人に迎合するしかなくなるんだよね。
やから、オレは中学で不登校という形で反抗したんだな。詳しく、考察しようと思ったが止める。

いまオレは、この経験を「逆縁の仏」として受け止めてる。こうなるのに30年あまりかかったけども。

オレは「什の掟」は是とはしない。感情論で言ってるのではない。もし「什の掟」の「年長者」が、間違った考えや恐ろしい考えの持ち主だった場合を想像して頂ければ分かると思う。

おひさしぶり~ね~2013版

みなさん、あけましておめでとうございます。本年も、よろしくお願いします。
前回の記事で「ブログ再開」と言っていましたが、次の年が明けてしまいました。

まあ、あれから色んな事がありました。朗報もあれば、そうでない事もありました。
私の両親は、自然の老いはありますが何とか元気にしてます。まあ、オレが背負うことは増えて来てますが「一人で、やったるで~」って感じですね。

何というのか、オレの中で「決断」が出来たんだと思います。「覚悟」と言う「決断」をね。
私のTweetを見ていただければ、オレが変わったことが分かるのではと思います。
「人に優しく」と言うのは変わりませんが、人に「迎合」する事を止め、「何かを失う」事を受け入れる「覚悟」を「決断」したのです。
ただ、それだけの事です。

そしたら心が楽になりました。
心が楽になれば、今まで見えてこなかった事が見えてきます。不思議なものですね。
最後に、この記事を、どう解釈し、どう思われるかは、読んでいただいた方にお任せします。

「失うことを恐れるなかれ、失うことを恐れれば、より多くのものを失うことになる。」
DACCHO

今年も、よろしゅう。

おひさしぶり~ね~

みなさん、お久しぶりです。去年九月以来の更新です。そうでなくても、更新も殆ど出来ない状況でした。

去年九月、めまいで私自身、救急車で運ばれ頭部緊急CTと頭部緊急MRIを撮りました。大事に至りませんでしたが前庭神経炎と診断されました。

その九月に、親父の白内障の手術が行われたのですが術後が思わしくなく緑内障の手術も行われ、それをお袋一人で二人を診ると言う状態でした。

年末には落ち着いてきたのですが、お袋の疲れは取れず、今年に入り親父の前立腺がんに対する放射線治療を行うことになり二月~四月にかけて毎日、通院しました。
オレ自身、めまいはまだ残ってましたが、お袋一人に任せることは出来ず二人で通ってました。
この前立腺がんに対する放射線治療は、幸運にも完治に向けた治療でありました。

無事四月に終了し、ホッとしたところお袋が倒れて救急搬送されてしまいました。これも大事に至りませんでしたが安静が必要な状態です。

そんなこんながありまして、ブログ更新できませんでしたが、少しずつ再開したいと思います。

DACCHO

東北大震災の被災者および福島第一原発の現場の方々へ

夕日は、希望の光。
明日へ繋がる、希望の光。
心の片隅でいい、希望の光を置いておいてください。
必ず、心の片隅にある希望の光が、あなたの心を包んでくれます。

東北大震災の被災者の方々、そして福島第一原発の現場で命をかけて頑張っている方々へ、ささやかな、私からのプレゼントです。

Hope

【介助と介護】アリとキリギリス

久しぶりのブログ記事ですね。なぜ、久しぶりになったのかと言えば、多くの事があり体調不良で記事が書けませんでした。
久しぶりの記事ですが専門のIT関連ではなく、いま私がしなくてはならないことを書きたいと思います。

アリとキリギリスと言う物語は、みんな知っていると思います。そうイソップ物語ですね。
内容は、説明するまでもありませんが、

夏にアリは冬の為に働き、キリギリスは歌い遊んでいた。冬になり、アリは夏に働いて貯めた蓄えがあるが、キリギリスは歌を歌っていてので蓄えが無い。アリに蓄えを恵んでほしいと懇願し、アリから説教を受け蓄えを恵んでもらう。

このような話ですね。他の説では、冬になりキリギリスが蓄えを恵んでほしいとアリに頼むが「キリギリスさんは、夏に歌っていたんだから、冬は踊ったらどうかな?」と言われ断らて餓死すると言う話もあります。
要約すれば「怠けずに、将来の事を考え、ちゃんと働こう。」そういうことですね。

これからが本題です。

親父は、下肢と視力に障害があります。お袋は虚弱体質で、最近、ほんま歳をとったなぁと感じます。親父もお袋も、足腰が弱いから転びやすいし、よろけています。
親父もお袋も踏ん張ることが出来ないから転びやすい。次、転んだら、ほんま、大ごとになります。

しかも親父は視野欠損90%以上やから、目がほとんど見えません。家の中では、一人で歩いていますが、それは長年、暮らしているから目が見えなくても移動に不自由はありません。
しかし目が見えず足腰が弱いと言う事を、想像して頂きたい。
部屋や廊下等に、いつもあるものがあり、ないものはないなら危険は少ないが、もし廊下に何かが落ちていたら、どうなりますか?

例えば小さなレシートとか落ちていて踏んだらどうなるかを想像できますか?
ビニール袋でも構わない、踏んだらどうなりますか?
いつもは何も無い場所に膝下までくらいの箱が置いてあったら、どうなりますか?
はい、親父は目が殆ど見えないため、それらに気づかずに転ぶ可能性が大きいですね。そしたら、親父は大ごとになりかねないです。

では、その問題に対し、介助する側は、どうしたらいいのでしょうか?
答えは簡単です。普段の生活の中で、例えば家の中を移動するとき、例えば廊下など、あらゆるもに気を配り危険だと思われる物を探しながら歩くのです。
普段の生活の中と言うのは、24時間、危険な物はないか気を使い続ければ良いだけなのです。

もし、よろしければ、自分の家の中で半日で良いので、廊下や部屋で、危険な物が無いか気を配り続けて下さい。
ほんまの介助者は、その上に介助を受ける人がいるのです。これは、ほんの一部です。例えれば、野球場の中にある砂粒一つ位の大変さです。

介助や介護と言うのは、普段の生活が出来なくなった方の「生」を背負う事なのです。介助される方の数だけ、介護する側が背負うのです。
私の場合は、両親ですので二人です。でも、背負う「生」は二つでも、もう一つ「生」があります。誰の事だか分りますか?
そう自分です。オレは、自分の「生」で、二人の「生」を背負ってます。

さて、長々と書いてまいりましたが、これからがクライマックス。短いですよ。

最初に、アリとキリギリスを紹介しました。どんな関係があると思われますか?
それまでに、少し前置きをします。勿体ぶるなと言う言葉が聞こえてきます。誰でしょうか?(笑)

オレは、いまでも求職中です。はっきり言えば無職です。オレの生い立ちは、またの機会にしますが、オレと似たような経験は、そういないと思います。
オレは、いま両親の介助を一人でしてます。働かずに求職活動もしてません。ときどきネットで遊んだりしてます。オレは、まわりからキリギリスと言われてます。

このオレは、アリですか?
それとも、キリギリスですか?

ネットーワークと無縁社会

先日、無縁社会に関する番組を見ていた。ネットワークを利用した「人や社会との繋がり」に関する番組である。私もTwitterにて、いくつか私見をTweetしながら見ていた。
「ネットーワークの繋がり」って言うのは、人と繋がる手段として「ネットワーク」を利用しているのであって、既存の手段、例えば手紙、電話、現実に会うなど、そういうのと変わらない。

以前から、現実の繋がりをリアル、ネットワークの繋がりをバーチャルと分ける考えがあるけれども、ネットワークを介して繋がっているのは「人」である。
ネットワークの繋がりって言うのは匿名性があるから、現実ではない自分を演じる事は出来る。それが、ネットーワークはバーチャルと言う考えに、すり替わっているのかもしれない。

  • ネットワークの先には「人」がいるという事を忘れてはならない。
  • ネットワークにいる方々は、現実逃避をしているわけでなく、社会から孤立しているわけではない。
  • 「無縁」の本質は、いまの現実社会にある。

と、私は考えているし、無縁社会や希薄な人間関係を深める手段として「ネットワーク」による繋がりは有効なのではないだろうか。

ネットワークの繋がりに対し賛否両論があるけれども、私自身、ネットワークでの繋がりで多くの事を学んだ。それは現実では学べない事も多くあった。
いまの世界情勢を見て頂ければ、世界を大きく動かしているのは、そのネットワークの繋がりであることは明らかである。
ネットワークの世界は、悲壮感漂う暗い世界ではなく、現実社会では不可能な繋がりや考えが学べる明るい世界であることを、私は伝えたい。

夢のような現実

このブログを初めて何年経つんだろう。初めてかもしれないな、このような記事を書くのはね。今日と言う日は、オレにとって忘れられない日になるかもしれない。それは

「親父が、がん宣告」

を受けた日だから。がんと言っても多くの種類がある。親父が、がんに侵されたのは前立腺。
前立腺がんは、他のがんと違い進行が遅く早期発見をし治療をすれば寿命と変わらないと言われている。その情報は、ちゃんと理解しているんだけれども、現実になると、そうはいかないんだよな。

オレも、親父も、お袋も、一緒にがん宣告を受けた時、実感なんてわかない。でも、ドクターの言われたことは、殆ど忘れてしまう。冷静でいるつもりでも、どこか違う。冷静と思っているけれども冷静でない。これは、経験しないと分からない感覚だと思う。がん宣告を受けた親父はショックと言う感覚と、こういう感覚なんだと冷静さのギャップに戸惑いながらも元気でいる。それより、周りの方がガクンと言う気持ちが強い。でも実感は湧かないんだよね。不思議とね。

家に帰り、少し眠ってしまった、オレ。起きてみると、とても不思議な感覚に襲われた。親父が「がん宣告」を受けたという現実と信じられないと言う気持ちに戸惑う自分がいる。オレは、こういうIT系のブログを書いているが、順風満帆な、普通な人生を送っていない。挫折ばかりの人生を送ってきた。でもオレは「挫折」と言う言葉は好きではない。昔は「挫折」と言う言葉に頼り印籠を持ち逃げていたけど、ある友人の言葉によって変わった。

「挫折は、あなたの人生の中では挫折ではないんだよ、人と比べるから挫折と思うんだよ」

とね。オレは、この言葉によって「挫折」に対する気持ちが変わった。挫折とは「人生において大事な学び」なんだとね。挫折が多いほど、痛みが多いほど、学びのチャンスも多い。そのチャンスを活かすかどうかは自分次第なんだよね。活かすのは、そんな簡単ではない。簡単でないから大事なチャンスでもある。オレは、そう思うんだよね。

話が少しそれてしまった。

今日、親父は「がん宣告」を受けてしまった。オレは、その現実を夢と思わずに受け止めている。正確にいえば「必ず受け止める」となるだろうけども。
今のオレは、何をすべきか、何が出来るか分からない。いまだ、夢のような、いや夢であってほしいと思う甘えたオレがいる。でも、オレは、その夢を現実として受け止める。それが、第一歩だから、この親父の受けた「がん宣告」は、親父の終わりを告げる物ではなく、また家族を初めとする周りに絶望を与える物でもない。より、充実した時間、実りある人生に気づかせてくれたんだと思う。

なかなか仕事がないんだよね、あ~だれか仕事をくださいな。オレと言う人間を一度、見てくださいな。
多くの学びを得てきたオレを(笑)

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